26日の日曜日以来、いまだに日々のふとした瞬間に、あの日を切り取った一場面が浮かんできては、ボーっとしてしまう。
ろってぃーの生誕祭は、そのぐらい最高のひとときだった。
セレモニーでは、じょーさんに手紙の代読を頼み、サプライズの思いを託した。
しかし、手紙を読み始めたのは、なぜかまあやだった(笑)
「あぁ、オラやっちまったよー(T_T)
しっかり、じょーさん本人にも、運営さんにも伝えたはずだったんだけどなぁ(泣)
それにしても、まあや、ちゃんと読めるのかなぁ・・・(泣)?」
と心の中で思っていた。
(まあや、ごめん!)
それが、なんと。
チームチューリップは全員がリレー形式で、それぞれ自分の手紙を読み始めたではないか!
全く予定にない展開に、思わずニヤリ。
「みんなでまひろを驚かせたいね、どうしよう(^o^)?」
と考えて仕掛けてくれた、チームチューリップからのサプライズだったのだ。
ろってぃー、愛されてるね♡
チームチューリップ、最高だ!!
そして、いよいよじょーさんによる、あかりってぃーの手紙の代読が始まった。
あかりってぃーは、ろってぃーのブログに度々登場してきた、旧来からの親友。
(2014年7月18日ブログより)
いつも一緒にダンスして、怒られて、トイレ掃除させられていた大切な戦友でもある。
この二十歳の節目に、あかりってぃーからまひろってぃーへ、エールを送って欲しいな・・・
もし、これから辛いことがあったとしても、そのエールがまひろってぃーの背中を後押ししてくれるんじゃないかな・・・
そう強く願っていた。
それが叶ったあの時間は、今でも夢だったんじゃないかな?とすら思えてくる。
「まひろってぃーは凄いから!ほんとにとっても凄いから!みんなにたくさん愛されてるから!いろんなことを跳ね返してスーパースターになるって信じてます!」
僕らRotty夢と寸分違わぬあかりってぃーの思いに、涙腺が緩んだ。
ろってぃーにもしっかり届いたようだ。
あかりってぃー、本当にありがとう!
そして、その手紙の後は、ろってぃーによるPeace loving peopleの熱唱が始まった。
3年前の乃木どこ生誕祭でも観た、小学4年生の時に歌っていた大切な曲。
以前にブログでも好きだと言っていたし、少し前に755でもそう言っていた。
(2012年4月23日ブログより)
とてつもなくすばらしい時間だった。
ろってぃーの歌声が綺麗で伸びやかだったのは言うまでもないけれども、この曲が心底好きなことが伝わってきて、心に沁みた。
ずっと終りが来ることなく、この時間が続いて欲しかった。
「黄色の地平線つくろう(パッ)」
団扇の黒ベースの面をパッと向日葵の面に反転させたことに気づいたろってぃーの、フッと笑みを浮かべたたたずまいは、歌姫の風格を漂わせていた。
普段のニコッと音が聞こえるような笑顔も大好きだけど、ステージ上でゾーンに入っている時のろってぃーの表情は格別だ。
願わくば、1人でも多くの人にあの姿を目に、歌を耳に焼き付けて欲しい。
「どこまでもどこまでも どこまでもどこまでも 続く道 Peace loving people」
この道の先に何があるのか。
ワクワクが尽きない。
生誕委員だけでは、ろってぃーには決して伝わりませんでした。
黄色の地平線をつくって下さった皆さん、本当にありがとうございました!
セレモニーを終えた後は、握手レーンを「ROTTY DREAM FES.」というフェスに見立てて、装飾を施した。
セレモニーについては、自分も多少なりとも企画とその運営に参加していたが、装飾についてはほとんど参加していなかった。
そのため、それが形になったのを目の当たりにしたのは、この時が初めてだった。
圧巻だった。
入り口両サイドのトラスにはまばゆくライトが光り、「ROTTY DREAM FES.」とバーン!とロゴが打たれた床、七色の音符でブースへ誘うレーン横の装飾。
そしてブース内は、ステージを模した装飾が施されていて、こちらにもトラスがあり、一層ライトアップされていた。
フェスというコンセプトに添って準備を進めていた5月の半ば、偶然にもフェスに行きたい旨のモバメがろってぃーから届いた時には、テンションが上がりまくった。
それでも、あの頃ですら、これほどのものができるとは想像もできなかった。
ただただ、スゲエよ!
ろってぃー、今年は忙しくてフェスに行けないかもしれないけど、少なくとも1回は参加できてよかったぜ!
しかも、自分が主役だ(笑)
そしていつか、これが夢じゃなくなる日が来ますように・・・
以上、セレモニーも装飾も、最高だった。
・・・とは言え、反省点も正直多かった。
斬新な横断幕、サプライズのセレモニー、突拍子もない装飾といった、攻めのオフェンス力には自負があるけど、、、テヘヘ(苦笑)
スラムダンクで言えば、豊玉高校みたいな生誕祭だった気がする。
まあ、反省点は見方を変えれば伸びしろだから、次につなげたい。
握手では、本当に驚いたと言われて、くすぐったかった。
僕自身はいつも通り大した話はできなかったが(笑)、今回は言伝があったので、枚数は少なかったものの濃い握手ができてよかった。
2015年度川村真洋生誕企画委員会。
52人という数字が多かったのか少なかったのかはわからないけど、熱かったのは間違いなかった。
それが故に衝突も起こったが、数はともかく熱さで負けちゃいかんから、ヌルく行くよりはよっぽどよかった。
本気でやってきて本当によかった。
委員からもらった写真だけど・・・
誰だよ、Next 2016って入れたの(笑)
気が早い!
でも、また一緒にやりたいね。
みんな本当にありがとう!!
・・・ざわ・・・ざわ・・・
以下、もう少し続きます。
長くてごめんなさい。
振り返れば、生誕をやりたいと思い、初めて行動に移したのが、今年の1月13日。
やりたかったものの、まだ生誕委員会が立ち上がっていなかったので、立ち上げることからスタートした。
生誕を立ち上げてしばらく経ってからは、委員長として貢献したいと思うようになり、気づいたら名乗りを上げていた。
生誕の経験は皆無だったこともあり、何するにせよ毎回不安はつきまとっていた。
「地方民だし」「毎回参加できないし」「のんびりろってぃーを推したいし」「オッサンだし(笑)」「何となく嫌(笑)」・・・
やらない理由を見つける才能に溢れている自分が、それでも行動に移してこれたのは、いつも心にプリンシパルtrois6月5日の、ろってぃーの姿があったからこそだ。
それは1幕での、若月のタクシーコントのパートナーに、立候補していた姿だ。
「できるできないではなく、やるやらないでサプライズをつくる」
そう言い続けてきたのは、ステージ下手奥でろってぃーただ一人だけが、右手を高らかと挙げていたあの姿が、ずっと色褪せることなく心に残っているからなんだ。
しかし、1人では何もできなかった。
若輩者がまがりなりにもここまでこれたのは、生誕かどうかを問わずRotty夢の諸先輩方、同輩、新たなるRotty夢、他生誕の皆さん、乃木坂のスタッフさん、メンバーのおかげです。
そして、他ならぬ川村真洋さんがいたからこそです。
本当に、本当にありがとうございました。
これからもずっとろってぃーを応援していきます。
絶対に夢叶えろよな!!
(ツイートして頂けると、嬉しゅうキモチです!)
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