こんにちは。KSケです。
突然ではありますが、秋に100キロマラソンに出ることにしました。
そこで、余暇の時間はそちらの練習等を再優先でやりたいので、しばらくは推し具合が弱くなり、当ブログの更新頻度も落ちます。
このブログだけではなくTwitterでも、ほとんどつぶやかない予定です。
※あくまでも、私KSケだけの話ですので、他の執筆陣には期待しています(笑)
100キロの後は、フルマラソンでサブスリー(3時間切り)も狙っていきますし、それが達成できたらアイアンマン(トライアスロンは大きくショートとロングがありますが、そのうちロングの方のこと)にも力を注いでいきます。
アイアンマンでは、いつかはハワイ(ロングの世界大会。プロもアマも枠があって、それに入らないと出られない。)に出たいです!
元々、大学時代にトライアスロンをやっていて、その後10年ほどは3種目ともやっていませんでした。
ただ、数年前にランニングだけでもやりたいと思って、再開していました。
シリアスに練習を積んで大会にまた出始めたのは、3年前のつくばマラソンからです。
そして2年前のつくばは、レース前の半年は月間500キロ程度は走っていましたので、サブスリーも狙えるかな?と思っていましたが、甘かったですね。
この頃は、ちょこちょこ練習のつぶやきもしていましたので、何だかよくわからないTwitterアカウントだったかも(笑)一応、ベストを9分程度更新はしたものの、サブスリーからは程遠い結果に終わった。相変わらず、前半から突っ込む頭の悪い展開。過去5回の挑戦のうち、未だに初回が1番賢い展開であることには辟易する。 pic.twitter.com/vTwtngqssr— KSケ (@KSK3304) 2014年11月23日
このつくばの後は、2ヶ月後ぐらいに生誕を立ち上げてそちらを優先してやっていましたので、練習はほとんどしていませんでした。
ヲタ活と並行してやる意識やタイムスケジュール能力が低いだけで、練習時間がなかったわけではないのですが、やれていなかったのは事実。
もっとマルチタスクにやれたらいいのですが、なかなか上手くいかないものですね。
ただ、今現在に至っても、サブスリーやアイアンマンハワイへの気持ちを捨てきることはできませんでした。
もう1つ。
これは早くても、来年の冬ぐらいになりそうですが、新しい事業の立ち上げに加わります。
まだ具体的に確定したわけではないですし、参画の仕方なども未定ですが、これにも力を注ぎたい。
私は、宮城で司法書士の資格をとって事務所も経営していたのですが、2年前に廃業しました。
今は借金と一緒に、奥能登へ都落ちしている有様です(笑)
ですが、失敗したまま引き下がるのは本意ではないですし、失敗したからこそ事業で成功するまでやってやりたい。
次は全く畑違いのフィールドになりますが、失敗からの学びを活かしながら、全力でぶつかっていきたいです。
まとめますと、
1.トライアスロンやりたい。
2.事業やりたい
ろってぃーを応援してきて、いつも大きな葛藤がありました。
「この子の夢への軌跡をずっと見続けていたい。」という想いと、
「俺も、夢や目標を追ってみたい。」という想い。
この2つの想いの板挟み。
実は、これによく似た経験が、学生時代にもありました。
私は大学に入ってすぐに応援団に入りましたが、その3ヶ月後にトライアスロンに興味を持ちました。
その時から、
「各部の勝利を渇望する姿を応援したい。」という想いと、
「俺も、トライアスロンでインカレの地を駆け抜けてみたい。」という想い
との葛藤が始まりました。
その時は、自分で考えた結果、応援団を続けることにしました。
そして、団長を務め終えた大学4年目の秋から、トライアスロンを始めました。
トライアスロンではインカレには出られましたが、団体戦に絡むことはできませんでした。
基本的にはトライアスロンは個人競技ですが、学生トライアスロンは各大学の上位3名の合計タイムを争う団体戦があります。
私は当初の予想よりもタイムが伸びましたので、インカレには早いうちに出ることができて、
「インカレ出場」という目標が「インカレでチームの上位3名に入って、団体戦に絡む(そして、インカレ団体戦優勝する)」という目標に変わっていきました。
そして、前者は叶ったものの、後者は叶いませんでした。
(2002年インカレでは7番手、2003年インカレでは9番手)
学生トライアスロンを終えた時に、1つの後悔がありました。
「応援団とトライアスロン部で迷った時、トライアスロン部を選んでいたら、どうなっていたのだろう?」
という後悔です。
より若い肉体で、より長い時間をトライアスロンに費やしたかった。
前だけ向けばよかったのでしょうけれども、この後悔を拭い去るには、時間がかかりましたね。
正確に言えば、トライアスロンでの目標は叶わずじまいだったが故に、今も完全には払拭できていないのかも知れません。
そして今回。
「この子の夢への軌跡をずっと見続けていたい。」という想いと、
「俺も、夢や目標を追ってみたい。」という想い。
この2つの想いの葛藤に対峙してきました。
大学時代の応援団は3年半と期限がありましたが、今回の期限は自分で選ばなければなりません。
そこで、2016年7月が終わった今、後者と真剣に向かい合うことにしました。
いつかアイアンマンハワイの出場枠を手に入れて、あの時の後悔を完全に拭い去りたいです。
でもね。
私は、たとえ糸のように細い推し方しかできなくなったとしても、ずっとろってぃーを応援し続けたい。
私はろってぃー夢として、本当に恵まれていました。
石川県の僻地に住んでいながらも、何度も現場に通う気になったり、生誕委員長をやる気になったのは、ろってぃーやその他のメンバーを本気で推している方々や、地方で生誕委員長をされている方など、実際にそういう皆さんがいたからです。
まだ現場に行かない頃から既に、ツイッターを通じて沢山の刺激を受けていました。
そして、実際の現場では想像していた以上に多くの方々と触れることもできました。
握手会やライブに生誕祭と、どのイベントも忘れがたい記憶です。
握手会でのいたいけな笑顔に舌足らずな愛らしい声、一方ステージでは打って変わって、毛先まで情熱がほとばしるダンスに、音符一つ一つに想いを込めた歌声。
そういったろってぃーを感じられた時間はもちろん、その後の飲み会で、「ここがよかった!あそこがよかった!」と口角泡を飛ばして語り合う飲み会。
どれも最高のひとときでした。
特に、2015年の5月3日、あの日ろってぃーとろってぃー夢にハッピーバースデーを歌ってもらったことは、絶対に忘れることはないでしょう。
あのサプライズがあったからこそ、「だったら、こっちだってろってぃーの涙腺ぶっ壊してやるわ!」と本気になれましたし、生誕祭以外のシーンでも「どうやったら、ろってぃー喜ぶだろうね!?」と真剣に考えて実践できました。
私の血は、ろってぃーとろってぃー夢と共にあります。
こんな私ではありますが、今後ともよろしくお願いします。
おい、ろってぃー!!
絶対に夢叶えろよな!!
(ツイートして頂けると、嬉しゅうキモチです!)
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